2011/01/29

3年を経て

鉄を扱う仕事についてから3年ちょい経ちました。
石の上にも3年と言いますが本当に3年してやっと少し身になってくるような気がします。
というか身のなり方を覚えだしたというか。

もちろん教えてもらったことも本当にたくさんあるのですが
自分の中で考えて考えまくって、失敗してやり直して、また失敗して・・って試行錯誤しながら
繰り返して身につくものってその時は時間と体力と精神の消耗でしかないけど、
後々とても大きいものになるんじゃないかと思う。まあ回りは大迷惑なんですけどね・・
って3年ごときやったくらいで何をぬかすかと先人の方は言うのでしょう。

今勤務している会社は鍛造だけでなく、プレス、板金、溶接、旋盤、使う材料も鉄、ステンレス、真鍮、銅、アルミいろいろで物づくりの基本を知るという上で、ずっと私の中で大きな基盤になることと思います。もちろん大まか過ぎるくらいの意味で。実際やったことない作業だってあるし。これら一つずつを極めようとすれば一生かかってもとても出来ることではないと思います。それぞれの分野に「神の目」「神の手」をもつ職人さんたちがいるように。それでも職人は「一生勉強」といいます。時代についていけるかは別として。急速な発展と時代背景は追っても、追いきれるものでないことの方が多いと思う。
厳しい人たちの厳しい現実なのでしょう。努力が必ず報われる世界ではないはずで、知識と技術だけがものを言う世界でもないはずで。

って話がだいぶそれてますが、何も分からないうちはイエスマンになってイヤでも何でもやってみることって大事なのかもしれません。環境も大事ですがそれはその時には分からないものなんですねきっと。でもそれを繋げないことには全部無意味です。
言葉がなければ生きていけない人間でいたくない。
最近は作ることが楽しくて、こんな浮かれている自分に差し迫る現実がまた日常となるのでしょう。